私に似たあなたへ

毎週土曜日の19時頃に更新します。コメントも同じ曜日に返させていただきます。

不幸になる幸せの定義の話

こんばんは竜之介です。
 
幸せに関係する本を
身長の半分以上は読んできました。
 
共通して書かれていることは

お金があったら幸せ
心身が健康だったら幸せ
未来に希望が持てれば幸せ
良質な人間関係があれば幸せ
 
幸せの感じ方は1人1人違うので
幸福は自分で定義しましょう

そんな感じのことです。
 
許容できると感じるので
間違っているとは思いませんが

これだけでは不親切だと感じました
多くの書籍にはコレが深く書かれていません。
 
不幸になる幸せの定義がある
他人との比較を定義に組み込むと不幸になる
 
という話をした方がいいと思うのです。
 

 
突然ですが

遺書を書いたことがありますか?
 
情けない話ですが
私は書こうとしたことがあります。
 
思考の段階で疲れ切ってしまって
3行も書くことができませんでしたが
遺書を書くために思考を巡らせた時の記憶は残っています。
 
迷惑かけてごめんねという謝罪からはじまり
どうして自殺するのか理由を語ろうとしました。
 
唐突に自分語りを挟んだのは
不幸になる幸せの定義を語るにあたって
この時に起こった感情を重要だと思ったからです。
 
迷惑かけてごめんねと書こうとした時は
 
普通にできなくて
他の人に比べて劣っていて
生きていくのが申し訳ないと感じていました。
 
他の人に比べて
 
お金があったら幸せ
心身が健康だったら幸せ
未来に希望が持てれば幸せ
良質な人間関係があれば幸せ
 
そのような価値観を持っていたから
前職で精神的にも肉体的にも疲弊したことによって
 
幸せではないと自信を持てなくなってしまい
相対的に不幸だと思い込みました。
 
他人がどれくらい幸せと思っているかわからないのに
相対的に幸せとか不幸だとか判断しようとしていたんです。
 
自分の幸せの量が他者のそれと同一か証明する
これは非常に難しくて雲をつかむような話になってきます。
 
自分の見ている『色』と他人の見る『色』は同一か
という話とほとんど同じことを言っています。
 
自分の認識しているリンゴの『赤』と
相手の認識している『赤』と同じかどうか?
 
相手の認識している『赤』というのは
自分が認識している『白』なのかもしれない
 
知覚について他者と同一か証明する方法はない現状
考えても仕方がないんです。
 
他の例をあげると、
 
他人が100万円の時計を買って100の幸せを得るとして
私が同じ時計を買ったとしても半分以下の幸せしか得られない
 
そんなことの連続なのに
他人と比較して相対的に幸せかどうか
判断できるわけないじゃんみたいな話です。
 
さらに付け加えると、
 
基準が自分の中にないものを
幸せの定義に組み込もうとすると
基準があいまい過ぎて不安定になります
 
自己決定権を他者に委ねている状態は
気持ちの浮き沈みが更に激しくなりますし
不幸な時はもっと不幸だと感じるようになります。
 
自分の主導権は自らが握るべきです
他人との比較を幸せの定義に組み込む必要はありません。
 
なら何を幸せの定義として使うべきか?
 

 
それがわかれば鬱になんてなってません!
自分で決めてください!


と突き放して話のオチにします
 
また、お話しましょう。